花飾り
和室
護摩供養
彼岸会法要
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ご供養

お葬式

私たちは、仏様より命をいただき、この世でいろいろな姿で生活します。楽しいこと、苦しいこと、仕事をしたり、旅をしたり、愛する人と巡り会い結婚し、子供を授かり…、しかしいつかは、仏の世界に戻らなくてはなりません。しっかり戻れるように、仏様にお願いする式がお葬式なのです。

●ご葬儀の形態が多様になってきています。

  • ご自宅でのお葬式は少なくなり、葬儀会館で行うことが多くなりました。
  • またご家族のみでお送りすることも増えてまいりました。

●少し工夫が必要ですが、東光寺の本堂でお葬式をすることができます。

  • ご家族でお通夜をしていただき、太田市斎場で火葬、東光寺でご葬儀というような、家族的ご葬儀ができます。

年回ご法事

追善供養とよく言いますが、追善とは何でしょうか。亡くなられた方が、生前、善行が足りなかったから、私たちが代わって善行を行うといわれますが、そうでしょうか。おかしいと思いませんか。お葬式で、仏様に仏の世界に導いていただいたのに。私は、こう考えます。年回供養とは、亡くなられた方に感謝し、あらためてその方の教え等をもう一度あらためて考えてみる時だと思います。

○ご供養はどなたでもできます

檀家様でなくとも、どなたでもご供養はできます。どうぞご相談下さい。

○ご供養はどこで

東光寺本堂、ご自宅など、どこでも出張してご供養はできます。

○食事はできますか

東光寺の中にゆったりとした和室があり、会食などができます。

彼岸会・お塔婆供養

彼岸会とは、春分と秋分の当日(彼岸会の中日)をはさんで、前後各3日の7日間に行われる法会のことを言います。彼岸とは、向こうの岸という意味です。迷いの世界、生死の世界をこちらの岸、すなわち此岸(しがん)というのに対して、悟りの世界、涅槃(ねはん)の世界を彼岸(ひがん)といいます。寺院に参詣・墓参して供養を行う仏事のことです。日常の生活を反省し、仏道精進(ぶつどうしょうじん)の機会として定められたのではないでしょうか。

彼岸会塔婆供養

彼岸会供養として、お塔婆を建立して、私たちが善行を行わせていただくとともに、あらゆる霊に供養をいたします。

春彼岸/日時:3月21日(お中日)午前0時より供養(うるう年は20日)

秋彼岸/日時:9月23日(お中日)午前0時より供養(うるう年は22日)

◎お供養料

金 三千円也

◎お申し込み

専用申込書、電話、FAXでお申し込み下さい。当日でもお申し込みできます。

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盂蘭盆会・お施餓鬼供養

盂蘭盆会とは

盂蘭盆会(うらぼんえ)とは、もとは「さかさにつるされている」という意味のインドの言葉で、死者が死後に逆さに吊されるような非常な苦しみを受けているのを救うために、祭儀をもうけて三宝(さんぼう)に供養することでした。後に特に祖先の霊を供養する法会のこととなりました。

お施餓鬼とは

お施餓鬼(おせがき)とは、清浄な地や水に食物を投げて、悪道に墜ちて餓鬼道(がきどう)に苦しんでいる衆生(しゅじょう)や餓鬼に施しをする法会のことを言います。日本では主に盂蘭盆会に精霊(しょうりょう)を供養するために行われます。その際、お塔婆を建立して精霊を供養することを、お施餓鬼塔婆供養(おせがきとうばくよう)といいます。

孟蘭盆会お施餓鬼供養

日 時:8月16日(お中日) 午前10時より法要

◎お供養料

金 三千円也

◎お申し込み

専用申込書、電話、FAXでお申し込み下さい。当日でもお申し込みできます。

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お盆とは

「逆さに吊された苦しみ」を梵語(ぼんご)で「ウランバナ」といい、それが「盂蘭盆(うらぼん)」と漢訳されたと言われています。盂蘭盆が日本では「お盆」となりました。お盆は、目蓮様(もくれんさま)が餓鬼道(がきどう)に堕(お)ちておられたお母様をなんとか救いたいと思ったことに始まります。 目蓮様は、お釈迦様のお弟子の中で、神通力(じんつうりき)にかけては第一といわれ、その力をもって、骨と皮ばかりになって餓鬼道(がきどう)で苦しんでいる無き母を見つけ出しました。このような苦しみにあるお母さんの姿を見て、救いたいと思うのは子として当然のことです。目蓮様はその神通力で全力をあげて色々な供物をお母さんに捧げます。しかし、すべて火になってしまい、お母さんは食べることが出来ません。さすがの神通力も何の力も発揮できないので、目蓮様は途方に暮れくれ、その切ない思いをお釈迦様に打ち明け、救いの方法を教示してくださるように乞いました。 お釈迦様は日蓮様に「多くの僧が三ヶ月の安吾(あんご)」の終わる七月十五日(八月)に、その多くの僧に供養すれば、その功徳(くどく)によって、亡き母は救われる」と説かれました。このことが仏説盂蘭盆経に説かれています。

お施餓鬼とは

 お釈迦様の弟子の一人に阿難尊者(あなんそんじゃ)と言う人がいました。お釈迦様の従弟(いとこ)に当る方で、始終お釈迦様のおそばに仕えて居られたので、多聞第一(たもんだいいち)と称せられました。世尊(お釈迦様)が大勢の佛弟子(ぶつでし)達に説法(せっぽう)なさいました。阿難尊者もその中に座して、世尊(せそん)のお説教を聴聞(ちょうもん)されました。 お説教が済むと、独り静かな樹蔭に行き、座して教へを思念して夜も更けて三更(さんこう)になりました。突然、蓬頭乱髪(ほうとうらんぱつ)にして身体はやせこけ、喉(のど)は針の如くに細くなり、口から火災を吐ける見るも恐ろしい焔口(えんこう)と言う一人の餓鬼が現れて、阿難尊者をぢっと見つめて「汝もまた三日の後に命終わぬ。我と同じく餓鬼道(がきどう)に堕せん」と告げました。尊者は直(ただち)に釈尊のみ許(みもと)へ帰られてこの由(よし)を申され、その救済を謹(つつし)んでこられました。 世尊は「大慈悲心(だいじひしん)を起こして三界(さんかい)の有縁無縁(うえんむえん)一切の餓鬼に浄(きよ)き飲食を施(ほどこ)し、餓鬼の日夜の苦患を救ってやるがよろしい。この法を修すれば無量(むりょう)の如来(にょらい)に供養するに等しく、現世の寿命を延長し、如何なる悪魔も害することは出来ない」と仰(おおせ)せられました。阿難尊者は仰(おお)せの如く修して、すでに三日の後に迫れる寿命を転じて施餓鬼の功徳によって、七十有餘の後までも長寿を保たれました。佛様は、「一切の男子は是れ我が父、一切の女人は是れ我が母なり」とお説きになっています。 すべての人々は過去より互いに父となり母となり子となって来ているのです。尊敬の念をもって、三界万霊(さんかいばんれい)に供養致しましょう。

お塔婆供養とは

 「卒塔婆」は、サンスクリット語の言葉を漢字で写した語です。「塔婆(とうば)」は「卒塔婆(そとうば)」の略ともとられるし、「塔婆」がさらに省略されたのが「塔(とう)」です。釈尊が入滅(にゅうめつ)なさると、火葬した遺骨を欲しいと要求がでました。そこで、あるバラモンが遺骨を八つにわけました。分配が終わってから申し入れ」をした部族には灰がわたされました。またバラモンには配分にもちいた瓶が与えられました。こうして釈尊を記念して十カ所の塔が建てられ、これが、歴史的に確実とされる仏舎利塔(ぶっしゃりとう)の起源であります。 その後アショーカ王が帝位につくと、遺骨をさらに分け、8万4千の塔を建てたといいます。ブッタの遺骨を礼拝するために塔をつくるという儀礼は、中国、朝鮮、日本に伝わりました。 日本の塔は、中国の塔建築の影響を受け、多宝塔(たほうとう)、大塔(だいとう)など、さまざまな塔が建立されるようになり、そうして、塔を建てることは、写経などと同様に、大きな功徳(くどく)を積むことであると考えられるようになりました。 大名たち支配階級は、墓標として五輪塔(ごりんとう)や宝篋印塔(ほうきょいんとう)を建てました。五輪塔は、徴してあらわしたもので、密教思想にもとづいてます。 庶民の墓は、土まんじゅうの上に石をのせる程度でありましたが、しだいに木の塔婆を建てるようになり、近世になってから石塔が建てられるようになりました。 塔の建立は、仏法の護持につながり、大きな功徳があるというので、追善供養の法会に際し、功徳を故人にめぐらす意味で板塔婆(いたとうば)を建てられるようになりました。板塔婆の上部にみられる切り込みは、五輪塔の形になっています。各切り込みに梵字(ぼんじ)が五つかかれ、仏を意味します。すなわち五仏(ごぶつ)を建立(こんりゅう)することと同じこととなります。